あそ坊奮闘気





懐かしの銀座4丁目の阿曾美術にて設計の打ち合わせの模様。連日、阿曾も茶室をどうするか?と思案の日々。
設計士は、
中山章氏。阿曾のアイデアを取り込みながら、幾度も打ち合わせを繰り返しました。お疲れさまです…

引っ越すぞ!と、決意が固まったのが、移転の2〜3ヵ月前の事でした。ちょうど、3月の末から4月頃。

この打ち合わせの写真は、すでに5月になっています。
    



移転先も決まり、5月になると急ピッチに着工。4丁目の阿曾美術は表向きは常設展の日々。裏ではいらないモノを捨て始めたり、夜中になると、茶室の和紙を塗り始めたりと、朝から晩まで、なにかとせわしなくしておりました。

和紙は、鳥取の「因州和紙」壁紙用に機械漉きされているものです。知人に、{大因州製紙協業組合}の塩さんを紹介して頂き、阿曾が鳥取の工場まで足を運びました。和紙を使ったいろいろな壁紙を提示している会社ですが、今回は何も加工していない状態の壁紙を40メートル近く提供して頂き、「あそ美隊」で、墨で着色することになりました。

晴れの日は、公園で塗り、雨が降ると画廊で夜塗る…乾くのも時間がかかる為、次の日の朝の阿曾美術は、しっとり湿度のお肌にやさしい空間…

 



阿曾が茶室を造るということで、いろいろな方から頂きものをしました。
こちらの古木もそうです。

「よく集まったね〜」と、大工さん。中山氏が、どのように使うか説明しております。

どこから頂いた古材かは、ここには記しませんので、ぜひ阿曾美術にみえた時のお楽しみにして下さい…

2004年5月20日



5月の中旬になると、茶室の骨組がみえてきました。

なんと、大工さんは茶室は造った事のない方々。だからこそ、相談したり、柱の位置や炉のこと、床の間のこと水屋のことなどなど…いろいろ確認しながら、阿曾の意向を取り入れながら出来ました。

そんな事もあり、阿曾は毎日のように工事現場に赴きました。現場監督に就任?です。

現場が、旧阿曾美術の目の前ですもの…

この頃には、すでに6月からオープンする事を決めておりました。
間に合うのか!阿曾美術?!

2004年5月21日



おっと、ねじりはちまきの阿曾です。       

角材にノミで角をっとたり、
趣をつけているのでしょう…

こんな作業を、5月の末にやっていたんですね。ホント、6月オープン?

2004年5月27日



床の間も、阿曾がねじりはちまきをしながら、柱をいじっている時に同時進行で進められていました。当初は、四角いお床で、高さも低めでした。

しかし、阿曾美術では、いろいろなサイズのお軸を掛けるため出来るだけ床の間口を広くとってもらう事にしました。その時に、角をまあるく切り抜いてもらうことになりました。

大工さんの手間がまたひとつ増えてしまいました…。そうそう、角がでていないところって、和紙を貼るのも大変なんですよねぇ。すみません…出来上がりを見て頂いたときに誰もが納得。いい床だ!

 





いよいよ6月。

4丁目阿曾美術が終わると、作業着持参の「あそ美隊」は、現場直行です。職人さんが帰られた後、煮出したやしゃの実で、新材の着色を何度もしました。 だんだん、時間がたつと色が濃くなってきます。

 写真は、古材の表面の傷が目立った為、うす〜く塗っている所です。高いところだってへっちゃらです。

腰の腰痛バンドが痛々しいです…

2004年6月2日

壁に和紙が貼られていませんが、もう、原型がみえています!

こちらは、水屋です。

大工さんが すっぽり中に入ってしまいました。

棚板も古い杉の板を使用しました。

 
2004年6月10日



いよいよ、壁に和紙を貼り始めました。

実は、天井や、床、襖など、和紙の色が違うのです。

襖は、彩色せずに和紙のそのままの色です。天井は、墨色が濃く、黒味がかっています。壁は全体的に薄い茶色です。茶墨にベンガラを混ぜ、茶色味を帯びています。床も微妙に濃く塗った和紙を用意したのですが、どうも指示がうまくいかず、他の壁に貼ってしまいました!でも、全体的にムラを生かした塗で、どう違うかよくわからないのです…笑。



建て具屋さんもやってきました!       この障子の和紙も大因州和紙を使っています。障子の下の部分には、天井と同じ色の和紙を貼って頂きました。 

ギャラリーの床にも、迷いに迷って、最後に見つけだした、チーク材の無垢のフローリングがもう貼ってありますね!まだ、無垢のままです。この上に終電までの間、天然オイルをせっせっと塗っていったのです… 

2004年6月14日

裏には、台所も設置いたしました。    
以前の阿曽美術には、水場しかなくお湯を沸かすだけでしたので、今は大助かりです!
お昼にうどんやそばを茹でたりしています〜

外壁にも、すっかり和紙が貼られました。

一番手前に写っている柱は、東京都の大島からせっせと頂いてきたものです。

なんと、古い電柱!               思えば、何もかもこの1本の電柱が始まり…
この電柱を手にいれてから、いろいろと古材の頂き物をしたり、みにいったりしたものです。

さて、さすがに茶室の方もメドがたってくると、いよいよギャラリーの準備も平行して行っていました。だって、6月23日からは、オープニングの「三原研 蓋物展」なんです!

棚などの荷物も引っ越し業者を使わず、自分達で運びました… 今思えば、おそろしい…

大きなおしりを失礼致します。

夜もふけってまいりました…          もくもくと、展示台の足をノミで削っております。手前のこの机も、阿曽がノミで表面を削りました…     


さあ!、三原さんから作品が届きました。
三原さんにお願いして発送する日をずらして頂きました。阿曽美術が出来るのが先か、三原氏の作品が先か?!なんて、軍配は三原氏でした。

三原氏には建設中にも足を運んで頂き、空間の把握をして頂いておりました。そのため、作品点数も大幅に増やして制作して頂きました。

お疲れさまでした!


こうして阿曾美術は、2004年無事に
引越を済ませて新しくスタートしたのです。