松田正平 



「犬馬難鬼魅易」

犬や馬のようにありふれたものを描くのは難しいが、
鬼魅(ばけもの)のように実体のないものは易しい。




この言葉に、破顔した松田正平先生の姿を
思い浮かべます。
描かれたのは、ふるさとの「周防灘」や「祝島」、
そして「バラ」や「魚」や「くだもの」や「犬」。
すべてが親しみあるふうけいの中に存在するものです。

おおきな手を通して描かれた力強い線と色には、
ときに静かな風がすっと吹き
ときにあたたかい空気がうまれ
ときには目の前の靄が晴れわたり
あらたな歩みをすすめるための笑顔を、
こころに与えてくれるようです。










  年譜


1913年(大正2年)島根県に生まれます。

1921年(大正10年)山口県宇部市の松田家養子となります。

1937年(昭12年)24歳のときに東京美術学校を卒業し、フランスに留学しますが、
第二次世界大戦が始まったため、1939年(昭和14年)に帰国。

1943年(昭和18年)30歳にパリで知り合った吉川精子と結婚し、横浜に新居を構えます。


29歳のときに山口師範学校(現山口大学教育学部)美術教師となり忙しくなったとき

「普段の生活が忙しくて絵を描かんようにいなったら、私の亡くなった家内から、
 『このままじゃええ先生にはなれるが、絵かきにはなれん。私は絵かきと結婚したんじゃ』
 といわれての。だから先生をやめた。」


1951年(昭和26年)38歳に銀座フォルム画廊で初めての個展を開催し、以後定例化します。

1957年(昭和32年)44歳に、郷里での初めての個展を宇部市明幸堂画廊で開催。

1976年(昭和51年)63歳のこの頃に現代画廊の洲之内徹氏を知るようになりました。


「油絵の具は日本画ではできん表現ができる。一番複雑じゃが、一番すきじゃ。」


1984年(昭和59)71歳、新潮文芸振興会から第16回日本芸術大賞が贈られました。

1986年(昭和61年)73歳、昭和61年度宇部市芸術文化特別功労賞を受賞しました。

1993年(平成4年)80歳、平成5年度山口県選奨(芸術文化功労)を受賞しました。

1999年(平成11年)86歳のとき、阿曾美術で初めての書の展覧会「松田正平書展」を開催。


「物好きな人間がおって、私は人に見せるような字を書いたことがないと言っても、
 書け書けというんでの。 どこがええんかのぉ。 私にはさっぱりわからん。」 
  


2001年(平成14年)89歳、平成14年度文化庁長官表彰を受けました。

2004年(平成16年)91歳、宇部中央病院で逝去。